【医療コラム】なぜ私はフリーランス麻酔科医になったのか?その道のりと現実②~開業、震災、マレーシア移住

医療コラム

①フリーランス麻酔科医としての道

私は大学病院で10年間勤務した後、フリーランスの麻酔科医として独立しました。安定した環境を離れることに不安はありましたが、新しい挑戦を求めてこの道を選びました。フリーランスの働き方は、自分の裁量で仕事を選べる自由がある一方で、移動が多く、仕事を安定して確保する必要があるという課題もあります。

②フリーランス麻酔科医としての活動

独立後は、関東や東北の病院で麻酔業務を請け負いました。フリーランスのメリットは、スケジュールを自分で調整できることですが、移動が多くなり、週の半分以上をホテルで過ごすようになりました。特に東北では、地元の食文化を楽しむ機会もありましたが、新幹線移動が多く、自由な時間が減るというジレンマもありました。

③クリニック経営への挑戦

2010年、私は共同経営者とともに「渋谷三丁目クリニック」というメンズクリニックを開設しました。最初は個人事業としてスタートし、麻酔業務で得た収入を活用しながら、経営を安定させる資金を確保しました。利益が出始めると法人化を進め、事業の安定性や信頼性を高めることができました。この経験を通じて、臨床医としてだけでなく、経営者の視点を持つことの重要性を学びました。

④東日本大震災の影響と海外移住の決意

2011年の東日本大震災によって、東北での麻酔業務が大きく影響を受けました。新幹線が運休したため、移動手段の確保が難しくなり、飛行機での移動を余儀なくされました。この経験から、日本国内に拠点を持つことのリスクを考え始め、海外移住を検討するようになりました。

⑤マレーシア移住と新たなライフスタイル

震災後、私はマレーシアの「MM2H(マレーシア・マイ・セカンド・ホーム)」ビザを取得しました。現地視察でクアラルンプールのコンドミニアムやインターナショナルスクールを見学し、教育環境の良さに魅力を感じ、家族とともに移住を決意しました。

マレーシアで医師として働くことも考えましたが、賃金の差が大きいため、日本での仕事を継続することにしました。そこで、3週間連続で働き、1週間休むという働き方を取り入れ、日本とマレーシアを行き来する生活を送りました。LCCのエアアジアを利用すれば、夜に出発し、朝にはマレーシアに到着するため、効率的に移動できました。

その後、日本の自宅を引き払い、完全にマレーシアへ移住しました。日本では「出稼ぎ」として働く形にし、住民税がなくなった分を教育費に充てることができました。ただし、日本での所得が大半を占めていたため、所得税は引き続き日本で納税しました。

⑥フリーランスの可能性と自由

フリーランスの最大のメリットは、自由な働き方ができることです。医局や常勤の病院勤務では長期間の海外滞在は難しいですが、フリーランスなら日本で働きながら海外に住むことも可能です。

また、フリーランスとして働くことで、医療業務だけでなく経営や海外移住といった選択肢を持つことができました。事業を立ち上げ、経営者としての視点を持つことで、医療業界全体の仕組みを深く理解することができました。

⑦まとめ

フリーランス麻酔科医としての経験を通じて、私は以下の3つの大きな学びを得ました。

  1. 経営の視点を持つことの重要性:クリニックの設立と経営を通じて、医療業界の仕組みをより深く理解することができた。
  2. 海外移住の選択肢:震災をきっかけに、日本だけでなく海外にも拠点を持つことでリスク分散が可能になった。
  3. フリーランスの自由な働き方:自分でスケジュールを調整し、海外在住しながら日本で働くというライフスタイルを実現できた。

現在、医療業界ではフリーランスの働き方が難しくなりつつありますが、自由と経験を得ることでキャリアの選択肢が広がります。これからの時代、医師としての働き方は多様化していくでしょう。その中で、私の経験が参考になれば幸いです。

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